(代表中里文子のコラム/2020.2.23)

今年初めにめずらしく体調を崩し、商売道具である「声」が一ヶ月以上に亘り上手く出なくなるという事態が起こりました。当然、心理カウンセラーとしての仕事ができず、その代わりに「時間」を得ることになりました。その中で、日常的に読む心理学の専門書ではない本を2冊読みました。「毎日が日曜日:城山三郎」と「孤舟:渡辺淳一」です。

「毎日が日曜日」とは、常に仕事に追われ回遊魚であるマグロのように動き続ける私にとって、何とも魅力的な言葉ではありましたが、「人は“時間”を得ることで何を失うんだろう」と考えさせられる内容でした。この小説の舞台は今から30年ほど前で、華やかな(?)商社で働く商社マンたちを題材にしています。日曜日だけが唯一の「休み」だった企業戦士にとって「日曜日」という言葉は、自由や開放感の象徴とされていました。その反面、突然、毎日が出社する必要がない日曜日に替わってしまったことを考えると、底知れぬ恐怖や不安に襲われるといった心の機微が描かれています。一線から仕事が少ない支店に左遷された主人公と、定年退職になった友人が、毎日が日曜日のような生活となった中で、「時間」を得ることにより「やりがい」「存在価値」「自己肯定感」「所属感覚や承認感覚」…そういったものを失い、罪悪感や寂寥感、そして何かへの負い目や満たされない想いなどが、「胸がかわく」という表現で描かれています。人間にとって「幸福な人生とは何か」を問いかける力作でした。

「孤舟」とは、「一つだけぽつんと浮かぶ舟」という意味だそうです。

60歳で会社を定年退職した主人公は、趣味や家族サービスなど「第二の人生」でやりたいと思っていたことがたくさんありました。しかし、待っていたのは「何もすることがない」という現実でした。さらに、定年後、一緒にのんびりできると思っていたはずの妻は、「主人在宅ストレス症候群」となり、夫は家の中で邪魔な存在として「居場所を失った侘しさと虚しさ」に苛まれます。環境や状況の変化があったからといって、なかなか自分自身を変えることができない主人公の苦悩からは、プライドや自尊心は、孤独と背中合わせであることが読み取れます。しかしながら、主人公はうまく生きていけないもどかしさの中で苦しみながらも新たな境地に至るのです。「すべてが変わった以上、自分も変わらなければ生き辛くなるだけである。それに口惜しいけど、年齢とともに男のほうがはるかに弱く、頼りなくなるようである。」と。

得ることと失うことは常に表裏一体だと考えられます。何か新たなモノを購入すると、家の中のスペースが減ります。得ることばかりの生活の先には、ごみ屋敷のように生活の機能不全が起こります。何かを失うことは苦しみや悲しみが伴いますが、その裏にある新たに得る可能性や出会いに気づいたとき、人ははじめて喪失体験の「意味」を理解するのかもしれません。

会社という枠組みの中で生きることは、束縛である反面、守りでもあります。社会の中で構築してきた「アイデンティティ」は定年退職とともにすっかり失われますが、それはちょうどレゴブロックで苦労して作り上げたお城が、突然壊された感覚と似ていて、その喪失感、空虚感は想像を絶するものかもしれません。しかしながら、新たに作り上げる楽しみを見出した時、また違った「アイデンティティ」を再構築できる喜びを得るのでしょう。定年退職にまつわる「セカンドキャリア」、もう少し早くから思い巡らし、考えておいてもいいのかもしれませんね。

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それではまた。

中里文子


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